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イーハトーブへ行こう その6
第5章:補完編。温泉郷と大迫は早池峰へ

今回の探訪は、未だ見ぬものに狙いを絞ったものです。

★温泉郷★

冬の鉛温泉。豊沢川沿いには時代を感じさせる温泉宿の建物が並ぶ

鉛温泉・アクセス情報

花巻南IC出口左折、県道12号線へ右折。
豊沢ダム・鉛温泉スキー場方面へ。

松倉>志戸平>渡り>大沢>高倉山と
温泉を通過したさらに先に鉛温泉がある。

冬季は路面凍結に注意。


大沢温泉。同豊沢川沿い、鉛温泉より花巻市内寄りに建つ温泉。

建物の間を豊沢川が流れ、徒歩で渡ることが出来る橋がある。
現在の橋の手前には過去に橋のあった跡だろうか、石積みの基礎が残っている。
露天風呂には、何名かの入浴者の姿もあった。川を眺めながら浸かれる風流さがある。

 
別アングルより。橋の先には水車もある。このような温泉で時を忘れくつろいでみたいものだ。

 
志戸平温泉の近くで見つけた看板に足を止めることになった。
イーハトーブ病院とは流石だなと思える。

こちらは台温泉の町並み。

【宮沢賢治の旅】“岩手県ポラン町字七つ森へ”和順高雄・文、中里和人・写真(偕成社刊・1995)内にある
場所と同じところ(おそらく間違いない)を同じアングルで撮影してみたもの。手元にある人は見比べて欲しい。
時の流れで変化してきたものがそこにある。


秘湯と呼べそうな位の山奥にある台温泉の街道。日々の忙しい時間を忘れそうな世界がそこにある。

台温泉・アクセス情報

花巻ICより右折、県道37号線を花巻温泉方面へ。
花巻温泉郷より約1km先を左折した先。

道が細いので対向車等に注意。

花巻から西の方角には、温泉郷がいくつもある。志戸平、大沢、台、鉛等である。
特に賢治との関連で言えば、農学校教師時代、夜中にこれらの温泉のいくつかを生徒と一緒にハシゴしたエピ
ソードがあったと記憶している。 「台川」等、作品のなかにも取り扱いがある。
また、大沢温泉においては、幼少の頃から、父政次郎に連れられて、夏期仏教講習会に参加
暁烏 敏(あけがらす はや)ら、高僧の説話を聞いている。
賢治と宗教の結びつきは、これまでも多く述べられているが、幼年、少年、青年期と仏教関係のみならず、
キリスト教関係の人々も賢治の周りには多く存在した。
年譜等で、宗教関係の記述を見るだけでも、まるで「宗教学」の実践的英才教育を施されたように思わせる。
花巻、盛岡といった地域性にあるものか、それとも時代的にそういう風潮があったものか賢治の周辺だけ、
そういった環境が生まれたものか、筆者には見当もつかない。とにかく、こうした仏教における各宗派、
キリスト教におけるカトリックとプロテスタント、様々な宗教的享受を得て、賢治の「宗教」に対する精神的土台が
形成されたのではなかろうか。
筆者が「賢治」とは何かと聞かれれば、もちろん、詩人であり、作家であり、農村指導者であり農芸化学者、
他にもいくつか肩書きが思い浮かぶが、やはり「宗教思想家」もしくは「宗教哲学者」といったあたりが一番適当
ではないかと思うが、いかがだろうか。
もちろん、本人に聞けば、「私はデクノボーです」と言うに決まっているが…。
by Hiroyuki





そして花巻市街を抜け…
 
最近新しいものができたという早池峰へと足を運ぶ…




「早池峰と賢治」の展示館



大迫(おおはさま)地区にオープンした展示館。

入り口の先には、大きな猫の事務長が出迎えてくれます。


階段に設けられた展示スペース。
高野玲子さんの作品による注文の多い料理店。

 
2階の展示スペース。
(左)賢治が利用していた宿を再現している。当時の麒麟ビールのラベルが素敵なので要チェック!
(右)教室を模したスペースで、ゆっくり腰掛けて休めるそうです。詳しくは下のほうに。
ここには、訪問記念に一言書いていけるノートもあります。書かねば損ですヨ。

 
鉱石標本。十分な大きさがあるのでわかりやすい。


「宮沢賢治」と交流があり、大きな影響を与えたとされる「菅原隆太郎」についての展示スペースが
2階の中央に並べられています。新教育方法ダルトンプランを実践した人。
その中でも特に興味をそそられた日記。


教室型のスペースを最も強く表している黒板。 徹底的に風の又三郎の世界に浸りましょう。

 
1回の展示スペースの奥、中央には大きな猫の事務長が貴方の来訪をお待ちしております。
 
各所には1番〜4番書記が囲むように席を並べています。他にも、多くのオブジェが彩るように飾られています。


構想メモ。「風野又三郎」でタイトルがついているのが特徴。


事務長の後頭部と地図(ぇ

筆者と雷鳴君は、「早池峰と賢治」の展示館を目指して、大迫に向かった。
この展示館は、2007年10月にオープンした。
建物は元々、稗貫郡役所であり、賢治の寓話「猫の事務所」のモデルと言われているものである。
賢治が投宿した石川旅館で催された土性調査の慰安宴の様子の再現と「風の又三郎」を思わせる
教室の様子などが展示されている。
<早池峰賢治の会>会長、浅沼利一郎氏の真摯な説明を受けた。
浅沼氏が強調されていたのは、最近発見された大迫小学校長であった菅原隆太郎氏の資料である。
菅原氏は、自由と協調を目指す教育法<ダルトン・プラン>のわが国における先駆的紹介者であったようであ
る。 ダルトン・プラン(またはドルトン)はアメリカ・マサチューセッツ州のダルトンの小学校で
ヘレン・パーカーストによって実践・実施された教育法で、日本では1922年(大正11年)東京の成城小学校で
導入された。 翌・大正12年、菅原氏のいる大迫小学校において、約10年間実践されたようである。
菅原氏の日記(大正12年2月付)には、賢治が菅原氏の授業に興味を持ち、実際に国語の授業を参観した、
と書かれているようである。
浅沼氏によれば、まだ書簡等、かなりの量が整理されておらず、今後の研究が期待されるとのことであった。
帰り際、周囲を散策したが、大迫商工会のHPに紹介されている通り、懐かしさとレトロさの溢れる街並みであ
る。立寄りをお勧めしたい。
by Hiroyuki


帰り際に立寄った花巻農業高等学校。
 
花巻農業高等学校内、移転された羅須地人協会の近くに建てられた銅像。
完成して間もないので非常に濃い色合いになっているが、らしさとしては最高だと思う。

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