賢治が、晩年の活動の拠点としたのが、「東山」であり「東北砕石工場」であった。
現存する賢治の東山時代の名刺には「東北砕石工場技師 宮澤賢治」とある。
実際には、技術的なことだけでなく石灰製品のセールスまでしたのである。
少し前になるが、某テレビのお宝鑑定番組にこの名刺が出品されたことがある。確か20万円程
の値がついたように記憶している。
筆者と雷鳴君、そしてS氏はこの東山、東北砕石工場を訪れた。
現在、この建物は東山町に寄贈され、有形文化財に登録されている。
JR大船渡線・陸中松川駅からトロッコ軌道跡沿いに「石と賢治のミュージアム・太陽と風の家」
があり、軌道跡は工場まで続いている。
我々3人がミュージアムに入館すると、展示物に対し館長の伊藤良治氏から懇切丁寧な解説を
頂いた。 氏の研究は、著書「宮沢賢治と東北砕石工場の人々」に詳しく、また、日本石灰協
会・日本石灰工業組合のwebサイト上の特集「石灰の残した文化遺産」中の「宮沢賢治と炭酸
石灰(全4回)」に素晴らしい内容の論文が掲載されている。一読をお勧めしたい。
賢治が、童話「銀河鉄道の夜」の原稿に、黒インクによる大幅手入れを施したのも、東北砕石工
場と関わりを持った時期以降とされている。
筆者は周辺を散策しながら、工場のトロッコ車輌に、石灰製品と一緒に乗り込むジョバンニとカム
パネルラを想像してしまった。
あらためて、東山時代の賢治の活動ぶり、石灰製品の開発・宣伝・出張セールス、同時に童話、
詩の寄稿、旧作品の改稿、稲作指導を考える時、一個の人間に、これだけの仕事ができるもの
かという驚きと、結果それが、賢治のラストランのきらめきであると思うと、切なくもある。
by Hiroyuki
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