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イーハトーブへ行こう その4

「その4」第3章:盛岡・岩手山…頂の先に続く空を追って



小岩井農場

岩手山を望む高原地帯に位置する、賢治関連で
巡る以上は欠かせない場所のひとつ、小岩井農場です。


上の写真の農場とは道を挟んで反対側に位置する、
観光名所としての小岩井農場・まきば園。乳製品は要チェックで!


この図あれば解説など不要、ここにも詩碑が存在します。



農場の少し奥の方にあります。
大きな自然石にはめ込まれた黒御影石の碑。


こちらが小岩井農場の碑文です。明朝体で彫られていますが、賢治の名は自筆の文字でしょうか。


レンガ造りでは日本最古のサイロ。なかなか美しい。


農場内にある展示資料館。是非見ましょう。


展示物の一部を公開♪

 
小岩井のジオラマ模型や文献
    
JRのポスターと思われるものと、賢治の歩いた道について

拡大っ

東北自動車道・盛岡ICから15,6km走った所に小岩井農場がある。
1891年(明治24年)に創設された西欧型農場である。
賢治作品には、有名な長詩「小岩井農場」がある。
この詩は、盛岡から汽車に乗り、小岩井農場へ向かい、農場内を散策した状況と、その時心象に
浮かんだ事柄が詳細にうたわれている。

NHKラジオ第2放送で、2005年10月から翌年3月までの半年間シリーズで放送されたNHKカル
チャーアワー・文学探訪 宮沢賢治の中で、研究者の栗原敦氏は、この詩が
「完全なる受容体による記述」とし、五感の全てを解放し、同時に内部の反応、感想、思考等を
記述しようと試みたものとしている。

このような試みを凡人がしようとすれば、「3分間も耐えられないのではないか」と述べている。
筆者も結果を想像するに難くないと思うし、まして、五感を全て解放することなどできない。
農場内には、現在も、賢治が目にしたであろう数々の国登録有形文化財に指定された施設が残
されている。

特に、上丸牛舎と、現存する最古のレンガ造りのサイロなどを見ると、筆者にはどうしても、
童話「銀河鉄道の夜」に登場する主人公ジョバンニが訪れる牛乳屋のイメージと重なって仕方が
無い。
by Hiroyuki

 



岩手山

岩手県のシンボルとも言うべき山。その雄大な姿は、美しい。



この左側に木があると…どう見ても某連続テレビ小説。

この標高2,038mの山を賢治は、盛岡中学在学中以来、幾度も登った。
関連作品も多い。
その中で筆者が気を引かれるのは、やはり短篇「柳沢」における白光現象である。
賢治と、弟の清六氏、そして従兄の3人で、岩手山に登った際、素晴らしい景観を体験している。
清六氏も「兄とトランク」(ちくま文庫)中の、「麓の若駒たち」の章で、この時の体験について
「白光は、琥珀の波をたてておしませて…」、「まばゆい後光」、「光の波」等の表現をされていて、滅多に見
られない現象だったことがわかる。
超高層物理学が専門で、賢治研究者の斎藤文一博士も、実際にこの白光現象を研究し、著作の中で成果
について発表している。
筆者もうろ覚えであるが、もう20年ほど前、仕事中に聴いたラジオ、多分NHK第1放送だったと思うが、ア
ナウンサーと、ある賢治研究者(誰であったかはわからない)の対話形式の番組中、研究者がこの白光現
象についてオーロラ説を唱えていたように記憶している。
その頃、オーロラといえば北欧か、アラスカのイメージしか筆者はもっていなかったのであるが、父親に尋
ねたところ、「昔は、ここいら(福島)でも、たまに見ることができた」と話していた。
この事柄について、最近雷鳴君とネット検索をしていたら、低緯度オーロラの記録は古来からあり、「赤気
(せっき)」という表現で、京都などの低緯度でも確認されていたらしい。
記録は無いが、賢治達の体験した現象もこの低緯度オーロラ現象だった可能性はある。
(賢治達が体験したのは1917年10月末で、第1次世界大戦中だった。気象データなどは機密事項か?)
まして、夜間降った雨が山頂付近では初冠雪、その雪が朝日に反射してと想像すると、賢治らが見た光景
は、清六氏が記している通り「この世のものではない」と思わせるぐらい希有なものであったろう。
いずれにしても、かつて地上の発光源の少なかった時代、夜の闇の中を滅多に起こり得ないような、低緯
度オーロラ現象もしくは大気光といった自然現象と、また奇しくも初冠雪と日の出の時刻が重なった複合現
象に実際、賢治たちが遭遇したというのもロマンのある話である。
by Hiroyuki

岩手山を東側からぐるりと回りこむようにして辿り着ける場所がここ。
 
岩手山の北東部、焼走り溶岩流より。松などの木々も所々に生えています。
 
冬季は積雪につき足元注意!!ハマります!


溶岩と、逞しく生えるコケ。

大自然の驚異、火山の生みし岩。気のいい火山弾を連想させてくれる。


焼走り溶岩流のところで食べられるラーメン。焼走りラーメンでよかったのかな、こりゃ。
行ったからには食べるべし!!



盛岡




盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)
 
門番所(重要文化財)
 


旧盛岡高等農林学校本館前。賢治のモニュメント。
 
旧本館。実に美しい建築だと思う。
 

花巻から北へおよそ40km、そこが賢治が青春時代のほぼ10年間を過ごした北の都、盛岡である。
賢治は、この盛岡時代に生涯、彼の論理的支柱になる二つの書物、島地大等編「漢和対照妙法蓮華経」と
片山正夫著「化学本論」に出会っている。以後、農民芸術概論綱要の結論にもある通り、この法華経と熱力学
の法則をもって、賢治は万物を統一的にとらえようとしていた向きを筆者は感じるのだが、いかがだろうか。
盛岡周辺には、小岩井農場をはじめ、賢治作品の数多くの材料となっている場所が点在している。
by Hiroyuki

光原社
 
すぐそばの立体駐車場に描かれた壁画


光原社に入ったところ。右が可否館。すごく…お洒落です

賢治の生前最初で最後に刊行された童話集
「注文の多い料理店」は、ここ光原社において出版された。現在は
民芸品などを取り扱っている商社で、仙台にも支店があるらしい。
「注文の多い料理店」出版に際して尽力したのは、賢治の盛岡高等
農林の後輩で、光原社の創業者、及川四郎氏と、氏の同級であっ
た近森善一氏によってである。

光原社店舗には、可否館が併設されている。折角盛岡まで来たの
だから、この可否館でコーヒーを試さない訳にはいかない。
実に香りがいいコーヒーである。
筆者も雷鳴君も、久しぶりに美味しいコーヒーを味わった。

コーヒーを頂いていると、着物姿の御婦人が2人入ってこられた。
さすがに文化都市、盛岡である。

by Hiroyuki

 
ここにも碑があります。

 
賢治作品で彩られる壁。迫力や繊細さ、あらゆる姿で見る人に訴えかける。


光原社は、賢治探求者のオアシスです。


「その5」
第4章:東山・賢治の最晩年、時の向こう側を追って
に続く

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