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後編!

種山その2、です。
前回は雪に閉ざされ、登る事叶わなかった物見山も今回は登頂しました。

このような看板が各所にあり、訪れる人々を導きます。


素敵な看板があります

注 意  熊 出 没

目撃はしていませんが注意しましょう。




種山高原より見渡せる風景

広がる雄大な地形。

中央に見えるのが物見山山頂の気象レーダーです。




前回は雪に閉ざされていた物見山付近も、今回は登る事ができた。

童話「種山ヶ原」の物語同様前回は、主人公の達二のように行方不明になるところだった。
今回は、すっきりとまではいかないものの、遠くの山々を見ることが出来た。360度のパノラマである。

残丘(モナドックス)のあたりは、何年前の岩だろうか、おそらく数億年は経過しているであろう。

賢治は、ここを何度も訪れては、考えていたことは何だったのだろう。
凡人の筆者にはよくわからないが、普通の人々とは違う感覚で何億年もの時間のうねりといったものを感じていたのではないだろうか。
by Hiroyuki

 




物見山より風景

 
物見山の岩。
平地ならばシャツ1枚でも過ごせる気温ではあるが、この山頂ともなると流石に冷えます。
 
物見山レーダー。雨雲の動きを観測し続ける気象の目です。
天気予報のためには欠かせない施設。
 
物見山の自然。癒されます。

 
キャンプ場の敷地内には風の又三郎像があります。マントを纏い風を受ける颯爽たる姿。


学校跡



人首の集落と種山高原との間、盛街道の道沿いに、奥州市江刺区米里木細工がある。
木細工には、廃校になった旧木細工中学校がある。
ここは昭和32年、東映教育映画「風の又三郎」のロケに使われた場所である。
確かに、校舎の後ろに小川が流れ、原作の雰囲気を味わうことができる。
賢治の中の小学校のイメージは特定のものではなく、いくつかの学校のイメージとしての総体として書かれたものとも言われている。隣には、立派な造りの木細工小学校がある。
賢治は、ここら周辺でモリブデンの存在を確認したらしい。
筆者にとってモリブデンといえば、二硫化モリブデンとしてオイルに添加する減摩剤としかイメージが湧かなかったが、実はモリブデンは人間にとっても、他の動植物にとっても必須元素である。
我々も、欠乏すると病気になってしまうのである。また、微生物の窒素固定に関する酵素にも関わっており、
地球上の窒素固定量の7割以上にこのモリブデンが関与しているらしい。
工業的にも、ハイブリッドカーやハイテクノロジーの場面の合金等で使用され、現代社会のみならず、地球上の全ての生物にとって必要不可欠な元素なのである。

※なお、学校の写真は、筆者の愛読書である【宮沢賢治の旅】“岩手県ポラン町字七つ森へ”
和順高雄・文、中里和人・写真(偕成社刊・1995)を参照して、同じようなアングルで
雷鳴君によって撮らせて頂いた。

by Hiroyuki
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現在も残る校舎。校庭は今も子供達の憩いの場だろうか。建物の脇には消防の屯所も並んでいた。
 
建物内は一部倉庫として用いられているようだ。写真には無いが校舎裏には川が流れている。
 
古い校舎と、現在の木細工小学校の校舎。

水沢編

国立天文台 水沢観測所・VERA観測所へと足を運びました。
ここには風の又三郎にも登場するZ項発見者・木村榮博士についての展示がある木村記念館があります。


筆者と、雷鳴君は、水沢に向かった。「風の又三郎」の前駆作品「風野又三郎」に出てくる場所
「水沢の臨時緯度観測所」を見学する為である。

現在の水沢は、2006年2月の市町村合併により、以前の水沢市ではなく、奥州市水沢区と
なっている。
当時の緯度観測所の建物は、一時老朽化により、取り壊しの危機もあったが、2007年4月より
国から奥州市に譲与され、保存できるようになった。
この観測所は、正式名称「国立天文台 水沢観測所・VERA観測所」の敷地内にある。
現在ここにある20m電波望遠鏡と、鹿児島は入来、沖縄の石垣島、東京小笠原のそれぞれ
同型4基の20m電波望遠鏡を結んで、宇宙の三角測量を行い、銀河系の精密な立体地図作りの
プロジェクトが進んでいるらしい。

筆者と雷鳴君は、幸い木村記念館の内部を見学することができた。
木村榮博士は、この旧緯度観測所の初代所長で、1899年末、地球の極運動を研究する為
世界の北緯39度08分上の計6箇所の観測施設が選定された。
日本の水沢、イタリア、ロシア、アメリカ、ドイツと共に国際緯度観測事業が始まった。
また、水沢の計算データが、他の観測結果と著しくズレていたため、苦心した木村博士は、
計算式の中に「Z項」と呼ばれる項を式に組み入れて計算したところ、水沢のデータのみならず
他の観測所のデータの数値にも改善が見られたという。
これが「Z項の発見(1902)」である。

このZ項で表される未知の正体は、1970年になってようやく究明された。

賢治の「風野又三郎」の中で、木村博士はテニスの名手として紹介されているが、記念館の内部
では、博士の「書」が展示されており、素晴らしいの一語に尽きる。
博士がテニスの名手であったかはよくわからないが、間違いなく「書道」の達人であった。
by Hiroyuki


施設内にはテニスコートがあります。名手と呼ばれるきっかけであったのでしょうか。

当時の看板。

素敵な案内板


「書」の写真が無かったので配布されるパンフレットより。左は幼少期、右はずっと後の作品だったと思います。
解説には、大人になってからは、どうやっても幼少期の字を再現することはできなかったとか何とか。

 
椅子に座る我々の図と机上の小物類


 
展示される歴代の観測機。

 
VERA観測の為の電波望遠鏡。
画像左手前:20m電波望遠鏡/奥:10m電波望遠鏡
画像右は、旧眼視天頂儀室と、そこに並ぶ旧型の電波望遠鏡

「その4」
 第3章:盛岡・岩手山…頂の先に続く空を追って
に続く



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